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光のほうへ   @梅田ガーデンシネマ [映画(は)行]

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満足度 ★★★★

原題の "SUBMARINO" は、水の中に顔を沈める拷問法を指すらしい。
そのタイトル通り、息の詰まるような閉塞感に満ちた作品だった。

デンマークのような高度福祉国家においても、薬物中毒や育児放棄といった社会の底辺に巣食う問題は存在する。いくら福祉に金をつぎ込もうと、金で解決できる問題なんてタカが知れている。心まで本当に豊かになるためには、互いに思いやり支え合う人の存在が必要なのだ。

舞台はコペンハーゲン。まだ小学生と思われる兄弟が、生まれたばかりの弟をあやしている。彼らの母親はアルコール依存症のシングルマザー。ろくに家にも帰ってこないため、子供たちは常に飢えている。

彼らは仕方なくミルクやオムツを万引きし、小さな弟の面倒を見てやっている。まったく育児をかえりみない母親の替わりに、二人で洗礼の真似事までして。しかし、ある朝目覚めると、弟は冷たくなっていた。

出口の見えない真っ暗闇な環境にあって、幼い兄弟にとっては小さな弟だけが一筋の光だった。その唯一の光さえ失い、心に大きなトラウマを抱えたまま成長し、大人になるにつれて二人は疎遠になってゆく。

ところが、母親の死をきっかけに、久しぶりに二人が顔を合わせる。

あれほどアルコール依存の母親を忌み嫌っていた兄なのに、果たして今度は自分がアルコール依存に陥っていた。恋人が妊娠し、子供を産んで欲しかったのに、彼女は勝手に堕胎し、自分のもとを去ってしまったから。シェルター(簡易宿泊施設)で酒をあおりながら傷心を癒やす日々。

一方、弟の方も薬物依存に陥っていた。結婚し息子もいるのに、夫婦ともにジャンキーで、2年前に薬物過剰摂取により妻は急死していた。息子には暴走車に轢かれて死んだと言ってある。「クスリはやめた。」と言いながら、実はトイレでこっそり打つ日々。

生きているうちは子供に目いっぱい苦労をかけてくれた母だったが、幸か不幸か家を残してくれていた。それを売却して、兄弟は食うに困らないほどの金を得るが、母のことを忌み嫌う兄は、全部弟にやってしまう。

おいおい、そんなことしたら…  あーあ、だから言わんこっちゃない。
破滅への道をまっしぐらに突き進む弟。結果は眼に見えているのに。

幼い頃に弟を失い、大人になってからもどうしてこんなことに、と嘆き悲しむ兄。しかし、今度は甥っ子が一筋の光となってくれるはずだ。「あとで君の名前の由来を教えるよ。」二人は光の方へ向って歩きはじめる。

ところどころに張られた伏線が、あとでちゃんと意味を持って生きてくる、緻密な脚本に支えられた名作だと思う。

コペンハーゲン出身であるアグネス・オベルの唄が、映画が終わった後も静かな余韻に浸らせてくれる。



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ポンヌフの恋人 [映画(は)行]

パリに来たからには、アンジェリーナのモンブランも食べておかなくてはならない。(←どんだけ食いしん坊やねん!)

コイエのパンを食べた後、大急ぎで凱旋門に昇り、てっぺんからパノラマ写真を撮りまくって、メトロでテュイルリー駅に向かう。

世界的に有名なサロン・ド・テなのに、どってことない(ド・テだけにね)普通の構えだったので、あやうく通り過ぎるところだった。
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しかし、内装は歴史を感じさせる重厚な造り。で、壁の椅子は何?
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おー、きたきた、モンブラン。とりあえず見た目はどってことない。
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恐る恐る味わってみる。うーん、味も別にどってことない。たいした風味もなく、やたら甘いだけ。とりわけ最後に残る底の部分が砂糖の塊で、吐き気がするほど甘い。大き目のピッチャーに入れられた水が添えてあるのは、そういうわけだったんだ。

気を取り直してポン・ヌフに向かう。「ポンヌフの恋人」という映画を観てから、どうしても行ってみたかった場所だ。(映画の撮影は巨大な沼地の上に造ったオープンセットでおこなわれたので、実際にポン・ヌフで撮られたわけではない)
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パリで最も古い橋を「新しい橋」という名前で呼んでいるのは、パリ流のエスプリなのだろう。老朽化が進み、補修工事のために閉鎖されているという設定の橋を舞台に物語ははじまる。

不治の病で失明の恐れがあると宣告され、絶望的になって家出した画学生のミシェルは、ふらふらとパリの街をさまよい歩くうち、ポン・ヌフにたどり着く。

橋には、ホームレスとして住み着いている天涯孤独な大道芸人アレックスがいた。寂しい者同士、二人は心を通わせ、一緒にホームレス生活をするようになる。

ミシェルが最初に寝ていたのは、このあたりだろうか。
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革命200年祭で花火が打ち上げられる中、二人はアンリ四世の騎馬像にまたがって拳銃をぶっ放すのだ。
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「ポンヌフの恋人」がもう一度観たくなって、帰国後TSUTAYAに行ってみたら、レンタルされていないことがわかって驚いた。この作品に限らず、レオス・カラックス監督作品はどれも扱ってないらしい。(あり得んだろ、そんなこと)

まあ、ジャン・ピエール・メルヴィル監督作品だって、「リスボン特急」くらいしか置かれていない状況だから、あまり期待はしていなかったが、壁一面に韓国ドラマが並んでいるのを見ると、もう少しなんとかならんのかなあ、と思ってしまう。

結局、オークションで「レオス・カラックス 三部作」のLD(レーザーディスク)を手に入れて鑑賞する羽目になった。
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ところで、今ごろ気付いたが、今年が「ポンヌフの恋人」製作20周年ということで、1月から全国でリバイバル上映されていたらしい。これを機にTSUTAYAさんもレンタルを考えたらどう?

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バーレスク   @TOHOシネマズ岡南 [映画(は)行]

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満足度 ★★★★

今年はなかなか幸先がいい。最初からこんな作品に出逢えて。

映画は大好きだが、ラブストーリーとミュージカルは苦手で、スルーすることが多い。しかし、これはクリスティーナ・アギレラが主演ということで、何の抵抗もなく観に行けた。

アイオワのショボいダイナーで働く女の子が、将来の見えない田舎を飛び出し、大都会LAの「バーレスク」というクラブで働きながら、唄と踊りの才能を開花させるという、ありがちなサクセス・ストーリー。

しかし、そんな陳腐なストーリーなど、どうでもいい。この作品のメインは、クリスティーナの唄と踊りなんだから。ストーリーは、彼女のパフォーマンスをつなぐだけの存在でしかない。

とはいえ、名優スタンリー・トゥッチの要所要所をキチッと締める堅実な演技のおかげで、映画らしさも損なってはいない。

そして、ソニー&シェールの頃からもう40年以上もショービズの世界で活躍しているシェールの堂々たる歌唱を聴きながら、やっぱり彼女は「イーストウィックの魔女」だな、そう思った。

この作品は、ぜひとも映画館に足を運び、大きなスクリーンと臨場感あふれるサラウンドサウンドで鑑賞すべきだ。家庭用テレビで観たって、魅力の1%も伝わりはしない。

世界最高のパフォーマンスをスペシャル・シートで観せてもらった気分。それでたったの1200円って(レイトショー)、もうありがたくて涙が出るほどだった。

さらに、エンディング・テーマがまた圧巻。思いっきり意表をついた選曲に驚かされる。マリリン・マンソンの「The Beautiful People」をアレンジして使うとは・・・

ちなみに、オリジナルはこちら。


人を怖がらせるのが目的という彼のヴィジュアルは趣味が悪いが、その音楽性の高さから、彼の曲はさまざまなアーティストにカバーされているし、昨年秋に行ったメタリカのライブでは開演前にこれが流れていた。

今世紀最高のギター・リフが聴けるこの曲をエンディングにもってくるセンスの良さ、それをショーアップさせるアレンジの巧みさを見せつけられると、この分野ではまだアメリカが他の追従を許さないことを痛感する。

ついでにもうひとつ、クリスティーナ演ずる主人公アリを助けるジャックが、パーティーで、「この曲、大好きなんだ。」と言っていたのが、ボストンの「More Than A Feeling」、懐かしいですなあ。




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ペルシャ猫を誰も知らない   @福山駅前シネフク [映画(は)行]

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満足度 ★★★

昨年、大都市圏では夏に封切られていたこの作品が、年末になってやっと中国地方にもやってきた。ただし、岡山はスルーして福山での上映。

福山駅前にあるシネフクは、大作を上映する大黒座・ミラノ座と、ミニシアター系作品を上映するシネマモード1・2の4館とが同居する貴重な存在だ。しかも駐車場はタダ。ありがとうシネフク、あんたが居なけりゃ見逃すところだったよ。

イランでは、西洋文化が反イスラム的として厳しく規制されている。音楽のライブをするにもアルバムを出すにも届出が必要で、当局の許可無しにライブを敢行したりすれば、演奏者も観客も逮捕されるらしい。

もちろん映画だって例外ではない。映画を撮ろうと思えば、まず脚本を検閲してもらわなくてはならないし、出来上がった作品に対しても厳しいチェックが待っている。

そうなれば当然、芸術家たちは地下に潜るしかなくなる。この作品は、アンダーグラウンドで活躍するイランのミュージシャンたちの様子を、無許可でゲリラ撮影しながら、ドキュメンタリー・タッチで描いている。

軸になるのは、アシュカンとネガルという男女のデュオ。メガネ女子にからっきし弱い私は、ネガル萌え~だった。彼ら自身にも逮捕歴があるそうで、活動の場をロンドンに移すべく準備をしている。

しかし、当局に眼をつけられている彼らにビザがおりるわけはなく、便利屋をしているナデルという男のはからいで偽造ビザを買うことになる。ハリウッド映画の海賊版DVDも売っているナデルの部屋には、マーロン・ブランド若かりし頃のポスター(「波止場」と思われる)が貼ってある。

出国前に地下ライブをしようと企んでいるネガルたちは、さまざまなジャンルのミュージシャンに声を掛ける。ペルシャ語のへヴィ・メタル(スレイヤーっぽい)、ペルシャ語のラップ(オリジナリティ強くカリスマ性あり)など、普通なら聴けないようなものが聴けて面白い。

一番の収穫だったのは、ラナ・ファルハンという女性歌手を知ったこと。彼女の力強い歌声には、魂を揺さぶられるような迫力があった。現在はアメリカで活躍しているらしく、それも充分納得できるパフォーマンスだった。

映画のエンディングは、現在のイラン音楽界の現状を象徴するような暗いもの。彼らが暗闇から脱出できるのはいつになるのだろうか?


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フェアウェル さらば、哀しみのスパイ   @シネマ・クレール [映画(は)行]

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満足度 ★★★★

これは拾いものだった。クサい邦題のおかげで、さして面白くなさそうな作品だな、と思いつつ時間つぶしの目的で鑑賞したが、意外や意外、観ごたえのある重厚な作品じゃないか。こういう嬉しい誤算があるから映画はやめられない。

舞台は1981年、ブレジネフ体制下のソ連。軍事費ばかりが膨れ上がり、経済的にも文化的にも破綻状態にある社会主義体制にあって、KGB大佐のグレゴリエフは祖国の将来を憂えていた。

自分の世代は仕方がないが、息子の世代の将来は明るいものにしなくてはならない、そのためには国の体制をいったん壊して大きく変える必要がある。彼はそう考え、自分の知り得た国家機密を西側にリークすることにする。

これは史実に基づいた話らしい。西側は彼のことを「フェアウェル」というコードネームで呼んでいたので、彼のスパイ行為は「フェアウェル事件」と呼ばれている。

彼が接触する相手に選んだのは、フランス人技師のピエール。KGBに面が割れているプロのスパイより、当局にマークされていないド素人の方が安全だからという理由だった。

当時は冷戦の真っただ中、ピエールはフランス人居留区という特別区に住まわされ、アパートの出入り口には24時間監視が張り付いていて、外出時間と帰宅時間とをチェックされている。おまけにメイドもソ連側のスパイ、寝室には盗聴器という徹底ぶり。

冷戦時代、ソ連に住む外国人たちは、そんなに非人間的な生活を強いられていたということがわかり、今更ながら驚かされる。

一般人である夫が国家を揺るがすほどの機密文書を取り扱うことに、戸惑いを隠せないピエールの妻。「私の夫はジェームズ・ボンドなんかじゃないわ。」スパイ活動に家族が巻き込まれることを恐れ、夫婦の関係はギクシャクするようになる。

一方、グレゴリエフもボンドのようにスマートな存在ではなかった。妻も自分も浮気していて、夫婦仲は冷めており、難しい年頃になった息子とは、ほとんど会話のない状態。息子が幼い頃に撮った8ミリ映画を観ながら、楽しかった昔を懐かしむシーンが泣かせる。

息子との関係修復に少しでも役立つようにと、グレゴリエフは情報提供の見返りにウォークマンとクイーンのカセットテープを要求する。初代ウォークマンの姿を久しぶりに見た。よく残っていたものだ。クイーンの音源がカセットテープってところも80年代そのものだ(CDが普及するのはこの数年後)。

テレビで放映されていたテニスの試合が、ボルグvs.コナーズ、グレゴリエフの愛人が家に押しかけて来た時に部屋で流れていたのが「ボヘミアン・ラプソディ」、80年代をリアルタイムに知る者には、ああ、あの頃の話なんだなとよくわかる。

ソ連政府がロックを西側の堕落した音楽として排斥しようとしても、若者たちの聴きたい気持ちを抑えることはできない。
アラジン・セイン.jpgグレゴリエフの息子が「ウィー・ウィル・ロック・ユー」をフレディになりきって唄い、部屋の壁にボウイの「アラジン・セイン」のポスターを貼っているのを観て、思わずニヤリとさせられた。




グレゴリエフの行為は、のちに国の指導者がゴルバチョフに代わったこともあって、ソ連崩壊の引き金となる。1988年、ペレストロイカのさなか、親善大使として招かれたスコーピオンズが、レニングラードでライブをするまでになったのは、おそらく彼のおかげだろう。

彼の立派なところは、報酬として金を受け取らなかったこと、情報提供後に他国へ亡命しなかったことだ。純粋に祖国を憂い、愛するがゆえの行為だったということが、それからもわかる。

しかし、大国主義の前では彼の存在など、ちっぽけなコマにしか過ぎない。彼をスケープゴートに仕立て上げ、東西の首脳が手打ちして一件落着。「カサンドラ・クロス」のあの背筋のゾッとするようなエンディングを思い出した。

国家とは何か、国民とは何かを、あらためて考えさせられる秀作。


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フローズン   @シネ・リーブル梅田 [映画(は)行]

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満足度 ★★★☆

寒くて「痛い」映画だった。ある意味、夏向きとも言える。

俺の名前はジョー。毎年冬は、幼馴染みのダンと二人でスキーに行くのが恒例になってる。でも今年は事情が違ってた。ダンの奴、パーカーっていうガールフレンドができて、スキーからスノーボードに転向しちまった。しかも、今回はそのパーカーも誘うと言ってきた。やっかいなことに、彼女まるっきりの初心者なんだ。ターンさえまともにできやしない。それで、いつものスキー場じゃなくて、人の少ないマイナーなスキー場に来たってわけさ。そもそもそれが地獄の始まりだったんだ。

貧乏学生の俺たちは、パーカーを利用してリフト券を安く手に入れたんだ。彼女のウェアの胸元をちょっと大きめに開けて、「カードでお金が下ろせなくて困ってるの。」って甘い声でささやいたら、リフト係のヤツ、あっさりダンピングに応じたのさ。今にして思えば、そんなセコいことをしたから、バチが当たったのかもしれない。

パーカーに手を取られて滑り足りない俺たちは、営業時間ギリギリまで滑ってた。最終のリフトに飛び乗ったまでは良かったんだけど、リフト係のヤツが勤務シフトのことでモメてて、俺たちの顔を見ていない別のヤツに交替しちまった。そいつが勘違いして、俺たちがまだリフトに乗ってるのに、電源をおとしてしまったのさ。
なんてことだ!地上15メートルで宙吊りになっちまった!

携帯電話は圏外、照明も消えて真っ暗、おまけに吹雪いてきて、気温はマイナス20℃まで下がってきた。最悪なことに、週末しか営業していないマイナーなスキー場なので、次にリフトが動くのは5日後だ。
うう… 凍えそうだ。うう… 腹が減った。うう… 小便したい。

かくも悲惨な状況に追い込まれた三人。果たして脱出できるのか?
「オープン・ウォーター」の雪山ヴァージョンといった感じだ。

登場人物は、ほぼ三人。舞台はず~~~っとスキーリフト上だから、この上なく低予算でできたに違いない。しかし、スクリーンから厳しい寒さは充分伝わってくるし、次から次へと起こる災難も実に痛々しくて、劇場内は水を打ったように静かになってしまった。観終わって出てくる観客は、どの顔もゲンナリ。シナリオだけで勝負したシブい作品だったと思う。

帰りながら考えてみたが、三人のスキーウェアをすべて結び合わせたら、地面までは届かないものの、何とか飛び降りることはできたんじゃないかなあ。ま、そういう野暮なことは言わないでおこう。

それから、日本のスキー場では、リフトのシートが跳ね上げ式になっていて、終業時には係員がひとつずつシートをパタンパタンと上げてゆき、最終的に全部のシートが上がった状態になったのを確認してから帰るから、この映画のような状況は生まれっこないことも付け加えておこう。

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バイオハザード4  アフターライフ    @TOHOシネマズ岡南 [映画(は)行]

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満足度 ★★★

このシリーズ、いちおう「3」で完結という話だったから、DVDトリロジーボックスを買ったのに、今頃になって続編ですかい。完結してないなら、ボックスセットなんか出さなきゃいいだろう。「SAW」シリーズでも痛い目にあっているだけに、つい溜息が出てしまう。

今回は、シリーズで初めての3D作品。でも、そんなことはどうでもいい、300円高くなるだけだし、あのメガネがうっとうしいし。

物語は渋谷のスクランブル交差点から始まる。降りしきる雨の中、傘もささず立ち尽くす一人の女性。色とりどりの傘が行き交う俯瞰から足元のアップとなり、さらに下から上へと徐々に女性像が明らかとなる。

あれっ?中島美嘉?と思ったのも束の間、前から歩いてきた男性(フジテレビアナウンサー牧原俊幸に激似)に襲いかかるというシーンで幕を開ける。この渋谷のシーン、実は巨大なセットらしい。撮影はトロントで行われたようなので、このシーンのために中島美嘉はカナダに飛んだということか?

前作でアンデッドのいない街ARCADIAを目指してアラスカに飛び立ったクレアたちを追って、アリスはまずアラスカに飛ぶ。しかし、そこには街などなかった。アリスはそこで、記憶を失ったクレアに再会し、二人でロサンゼルスを目指す。

彼女たちは、刑務所に逃げ込んで生き延びている生存者を発見し、飛行機を不時着させて彼らを脱出させようと試みる。塀の外には幾万ものアンデッドたち。二人乗りの単発機で、しかも滑走路などない刑務所の屋上から、いったいどうやって生存者たちを脱出させようというのか?
あとさき考えないにもほどがあるぞ。

そこで都合よく登場するのが、生存者たちに囚人として囚われている、元軍人のクリスという男。最初は暗くてよく見えない彼の顔が明らかになった時、思わず苦笑させられる仕掛けになっている。クリスを演じているのは、「プリズン・ブレイク」のマイケル役、ウェントワース・ミラーなのだ。
こういうお遊びがあると楽しい。

プリズン・イン・プリズンから開放されたマイケル、じゃなかったクリスの活躍で、彼らは無事に脱出することができ、ARCADIAにも行くことができるが、それはアンブレラ社のウェスカー議長による罠だった。ここからなぜか、マトリックスみたいになってしまう。ウェスカー議長はメタボ体型のエージェント・スミスみたいだし、銃弾をよける際のお約束のポーズなんかも、マトリックスそのもの。これも監督流のお遊びだったのだろうか?

シリーズ初回作から8年も経っているにもかかわらず、ミラ・ジョヴォヴィッチの容姿がほとんど変化していないのに驚かされる。彼女、もしかしたら本当にT-ヴァイラスを注射されているのではないだろうか、そんなことを本気で考えてしまうくらい完璧な仕上がりだった。

そして、何よりも嬉しかったのは、クレア役のアリ・ラーターが再出演してくれたこと。「ファイナル・デスティネーション」の頃に比べて円熟味が増し、今回はアクション・シーンもたっぷりあって、彼女の魅力を満喫することができた。次回作にも期待が高まる。

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瞳の奥の秘密   @シネ・リーブル梅田 [映画(は)行]

EL SECRETO


















満足度 ★★★★★

これはすごい。本当にすごい。文句なしに★5つ。
大阪まで片道160kmドライブをした甲斐があった。

この作品には、映画でなくては表現できないものがすべて詰まっている。脚本、演技、撮影、音楽、そのいずれもが非の打ちどころのないほど緻密に組み立てられていて、2時間以上という長尺にもかかわらず、まったくそれを感じさせなかった。

アルゼンチン映画ということだが、いわゆるラテン・フレーバーはなく、少し前のヨーロッパ映画を観ているような気分だった。古臭いと感じる人も居るだろうが、そうじゃない、オーソドックスなのだ。エボナイト棒を削って万年筆を手造りする職人さんのように、古くからの技を守り伝えてゆく存在も必要だろう。

主人公はブエノスアイレスの刑事裁判所書記官であったベンハミン(前向キングこと市村正親似)。25年前に若い女性(竹内結子似)の暴行殺人事件を担当し、真犯人を突き止めて終身刑を求刑したにもかかわらず、正義は断行されず、溜飲を下げられないまま次の赴任先で定年退職を迎えてしまった。自らの人生にケジメをつけるため、彼は事件を基にした小説を書くことにする。

彼はしばらく振りにかつての職場を訪れる。元上司で今は検事になっている女性イレーネ(櫻井よしこ似、あるいは大地真央似)に会うためだった。きれいとは言えない字でなぐり書かれた手書きの原稿を見て、イレーネは昔ベンハミンが使っていたタイプライターを使うようすすめる。それは、事件の報告書を打ったもの。" A "のキーが打てなくなって戸棚にしまわれていた。

事件が起きた頃、彼らは惹かれあっていた。警察のでっちあげをくつがえして真犯人を探し出したものの、ベンハミンは見えない敵から命を狙われるようになり、身の安全を考えて地方への転勤を余儀なくされてしまう。彼はイレーネに本心を打ち明けられないまま、一人で旅立ったのだった。その後、地方の女性と結婚したが、長続きはしなかった。彼は25年間、事件と一緒にイレーネへの想いも引きずってきたのだ。

被害者の夫リカルド(北村一輝似)も同じ様に事件への想いを引きずっていた。彼は犯人に死刑ではなく終身刑を求めていた。なぜなら、犯人には死ぬまで空虚な人生を送らせてやりたいと思っていたからだ。しかしながら、終身刑は適用されず、忸怩たる思いで日々を過ごしていた。

物語のいたるところに伏線が張りめぐらせてあり、それをひとつずつ拾いながら、果たしてベンハミンとリカルドは、それぞれの人生にケジメをつけられるのか、固唾を呑んで観守る展開になる。極上のミステリーでありながら、熱いヒューマンドラマでもあり、せつないラブストーリーでもある。

原題は"El Secreto de Sus Ojos"で、英語に訳すと、"The Secret of Their Eyes"となる。邦題では伝わらないが、El Secreto(秘密)は単数なのに、Ojos(眼)の所有詞は "sus"、つまり複数形であるところがキモだったことに、観終わってからやっと気が付いた。

出演している役者さんたちのレベルは非常に高く、アルゼンチン映画界の層の厚さを物語っている。もっともっとアルゼンチン映画を観てみたい、そう思ったのは私だけではないだろう。

ベンハミンの部下として彼を支えるパブロを演じていたのは、「ルド&クルシ」でスカウトマンの役を演じていたギジェルモ・フランセジャだった。声を聴いてわかったのだが、画だけを見れば二人が同一人物だとはとても思えない。役者やの~!思わずそうつぶやいた。

PABLOBATUTA






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プレシャス   @新宿武蔵野館 [映画(は)行]

PRECIOUS

 

 














満足度 ★★★★

先週末は研修のため上京。さて、土曜の夜をどう過ごそう?ブルーノート東京も新宿ピットインも、スケジュールを覗いてみたがイマイチそそられなかったので、新宿武蔵野館で映画を観ることにした。ちょうど「プレシャス」の初日だった。

土曜の夜にしては新宿に人が少ない。そうか、ワールドカップ・サッカー対オランダ戦の日だった。映画の観客は11人、偶然にもサッカーチームと同じ人数だ。非国民となじられようとも映画の方を選んだ熱き血のイレブン、一緒に楽しもうぜ!そう心の中で叫んだ。

舞台は1987年のニューヨークハーレム。主人公のクレアリース・"プレシャス"・ジョーンズは、大切な宝物(プレシャス)という名前を持って生まれたにもかかわらず、不遇な人生の真っ只中にあった。

16歳にして既に2度目の妊娠、母親の恋人つまり戸籍上の継父にレイプされた結果だった。その継父は家族を捨ててどこかに消えており、プレシャスは母と二人で生活保護を受けながら暮らしている。母親にとって、娘は恋人を寝取った恋敵、だから娘のことが憎くて仕方がない。一日中テレビの前でタバコをくゆらしながら、家事の一切をプレシャスに押し付け、気に入らないと怒鳴りつけたり物を投げつけたりする。

この過酷な家庭環境にあっても、プレシャスは生きる希望も勉学への情熱も失わず、いつか自分が人気者になれる日を夢見ている。
彼女が夢を見る時、場面がミュージカル風に変わる。眼を閉じている間だけは現実を忘れることができるのだ。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のセルマのように。

しかし、2度目の妊娠をしたことで、彼女は学校を追い出されることになる。新たな学び舎として提示されたのは"EACH ONE, TEACH ONE"というフリースクール。普通の学校に馴染めなかった子どもたちのための代替学校だ。

最初は気がすすまなかった代替学校も、レイン先生という素晴らしい教師のおかげで、かけがえのない場所になる。先生は、家を飛び出して住む所のなくなったプレシャスを一時的にあずかり、文字の読み書きができなかった彼女に根気良く教え、互いのことに無関心であったクラスメートたちに人を思いやる気持ちを学ばせる。

読み書きができない、誰も愛したことがない、誰からも愛されたことがない、というプレシャスの三重苦が、レイン先生の愛情によって徐々に解かれてゆく過程は、ヘレン・ケラーとサリバン先生の物語に似ている。

レイン先生を演じたポーラ・パットンが実に素晴らしい。アカデミー助演女優賞は母親役のモニークが獲っているが、むしろポーラにあげてほしかったと思う。

重要な脇役として、ソーシャルワーカー役のマライア・キャリー、男性看護師役のレニー・クラヴィッツが登場するが、プレシャスが眼を閉じて夢見るミュージカル風のシーンで彼らが歌ってくれなかったのは少し残念だった。あくまでも役者としての出演ということだったのかもしれない。

上映が終わり、武蔵野館で一期一会の出会いをしたイレブンは、互いに言葉を交わすこともなく、それぞれの家路についた。しかし、この映画を一緒に観た夜のことは、一生忘れないだろう


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ハート・ロッカー   @シネマ・クレール [映画(は)行]

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満足度 ★★★

実に男臭い映画だった。
女性が出てくるのは数分だけ。あとはずっと汗臭そうな男ばかり。
この映画の監督が女性であるという点が非常に興味深い。

イラクに駐留しているアメリカ軍の爆発物処理班を舞台にした話らしい、ということ以外に何の予備知識もなく鑑賞。冒頭に出てくる、いかにもやってくれそうな男が主人公かと思いきや、いきなり爆死してしまい、呆気にとられる。(エンド・クレジットを見て、演じていたのがガイ・ピアースだったとわかり、それにも驚かされた)

替わりに登場した主人公の男を見て、思わずニヤリとさせられた。
「28週後・・・」のドイル軍曹!人類を救うため自ら犠牲となって散り、しかも完璧な犬死にという、出番こそ少なかったが強烈な印象を残した、あのドイル軍曹の勇姿と重なり、一粒で二倍美味しく鑑賞することができるので、この作品は「28週後・・・」とペアで鑑賞すべきだろう。

砂漠での狙撃兵との闘いなど、かなりリアルな描写には唸らされたが、はっきり言って、オスカーを何個も獲るほどの作品でもないんじゃないかと思う。戦場における臨場感という点においては、リドリー・スコットの「ブラックホーク・ダウン」には遠く及ばないし、ヒューマンドラマという点においても、人物描写がベタ過ぎ、ストーリーのツメも甘い、という印象はぬぐいきれない。
ただ、「ブラックホーク・ダウン」が「動の臨場感」だとすると、この作品は「静の臨場感」を上手く描けていたと思う。

ところで、タイトルの表記だが、「ハート・ロッカー」とカタカナ表記されると、HeartだかHurtだか、RockerだかLockerだか、区別がつかない。正直な話、映画館を訪れるまで「Heart Rocker」だと思ってて、どういう意味だかわからなかった。もういい加減、タイトルのカタカナ表記を止めてはどうか?

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