BURRN! [日記]
我が国唯一のHR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)専門誌BURRN! が
30周年を迎えたそうな。
ちなみに、わたくし創刊号を保持しております。
表紙はオジー・オズボーンでした。(オジサンのズボンではありませぬ)
↑
今どきの若者はパンツって言いますか
10周年と15周年記念号はどうだったのかと、引っ張り出してみたら、
創刊号以外すべてMR.BIG でしたとさ。 (;゚Д゚)アチャー
しかしまあ、毎回パネルが手書きかい!予算ないんかい!
30年間ロゴを変えてないってのもすごいことですけどね。
4年前から休刊しているJAZZ専門誌「スイングジャーナル」の復活は
夢のまた夢なんでしょうなあ… (´Д`)ハァ…
30周年を迎えたそうな。
ちなみに、わたくし創刊号を保持しております。
表紙はオジー・オズボーンでした。(オジサンのズボンではありませぬ)
↑
今どきの若者はパンツって言いますか
10周年と15周年記念号はどうだったのかと、引っ張り出してみたら、
創刊号以外すべてMR.BIG でしたとさ。 (;゚Д゚)アチャー
しかしまあ、毎回パネルが手書きかい!予算ないんかい!
30年間ロゴを変えてないってのもすごいことですけどね。
4年前から休刊しているJAZZ専門誌「スイングジャーナル」の復活は
夢のまた夢なんでしょうなあ… (´Д`)ハァ…
アーモンドバター [日記]
姫路に用事があったので、網干のカフェ・ド・ムッシュでランチしました。
姫路のランチといえば、2種盛り、3種盛りが当たり前なんですが、それはこの店から始まったようです。定番のドゥバイヨルをオーダーしました。「はい、ドゥバイひとつね。」って、何でも略すな~!
ドーン!来ました。30cmほどの大きなお皿にオムライス、ハンバーグ、グラタンの3種盛りです。作り置きをチーンしたのではなくて、どれもちゃんとオーダーが通ってから調理しているのが立派です。繁盛する店にはやはり理由があるわけです。
ここは姫路市民のソウルフード、アーモンドバター発祥の店でもあります。これで美味しいアーモンドトーストができるのです。当然、買って帰りましたよ。
でも、よく見てみると・・・
マーガリンかい! バターちゃうんかい!
おなかも満たされたことだし、ついでに雪板屋のdreamyにも寄ってみました。MOSSその他のカタログだけをいただきます。まだ何も買いませんから。
う~ん、RAYSにやっぱり心惹かれますなあ。PANTERAもええね~。
はよ雪降らんかな~、と思う今日この頃。
姫路のランチといえば、2種盛り、3種盛りが当たり前なんですが、それはこの店から始まったようです。定番のドゥバイヨルをオーダーしました。「はい、ドゥバイひとつね。」って、何でも略すな~!
ドーン!来ました。30cmほどの大きなお皿にオムライス、ハンバーグ、グラタンの3種盛りです。作り置きをチーンしたのではなくて、どれもちゃんとオーダーが通ってから調理しているのが立派です。繁盛する店にはやはり理由があるわけです。
ここは姫路市民のソウルフード、アーモンドバター発祥の店でもあります。これで美味しいアーモンドトーストができるのです。当然、買って帰りましたよ。
でも、よく見てみると・・・
マーガリンかい! バターちゃうんかい!
おなかも満たされたことだし、ついでに雪板屋のdreamyにも寄ってみました。MOSSその他のカタログだけをいただきます。まだ何も買いませんから。
う~ん、RAYSにやっぱり心惹かれますなあ。PANTERAもええね~。
はよ雪降らんかな~、と思う今日この頃。
信濃大町プチ散策 [日記]
信濃大町駅に降り立ったのは、実に12年ぶり。前回は、まだ幼かった子どもたちと夏休みに立山黒部アルペンルートを富山側に抜ける拠点として訪れたのでした。
夏に登山者たちで賑わっていた駅前は、冬のせいか閑散としており、心なしか街も寂れてしまったような気がしました。どこの地方都市も同様でしょうが、駅前から延びる商店街にはシャッターの閉まった店があちこちに見られます。
しかし、すぐ近くにはリニューアルされたばかりのような巨大な市立病院がありますから、べつに街の人口が減ったわけではなくて、車社会になって街が駅前から郊外にシフトしただけだと思います。
黒部ダムは昨年で50周年だったようです。
石原まき子さんが来られたんですね。
商店街の真ん中を、かつての「塩の道」が横切っているようで、ちょっと歩いてみようかと思ったのですが、道が凍結していて転びそうなので、すぐにあきらめてしまいました。また今度は夏に再訪しましょうかね。
前の晩、爺ガ岳スキー場からの帰りに どら七さんと駅前にある豚丼の店に行きました。開店時間の午後6時になると一気にお客さんが押し寄せて、あっという間に満席になってしまう人気店のようです。
ここで食べた塩ラーメンの旨かったこと。もちろん豚丼もイケるのですが、何と言っても塩ラーメンですよ、「塩の道」だけに。隣のお客さんが食べていた、要予約の巨大な肉盛りも凄かったな。今度はあれ食べてみたい。
夏に登山者たちで賑わっていた駅前は、冬のせいか閑散としており、心なしか街も寂れてしまったような気がしました。どこの地方都市も同様でしょうが、駅前から延びる商店街にはシャッターの閉まった店があちこちに見られます。
しかし、すぐ近くにはリニューアルされたばかりのような巨大な市立病院がありますから、べつに街の人口が減ったわけではなくて、車社会になって街が駅前から郊外にシフトしただけだと思います。
黒部ダムは昨年で50周年だったようです。
石原まき子さんが来られたんですね。
商店街の真ん中を、かつての「塩の道」が横切っているようで、ちょっと歩いてみようかと思ったのですが、道が凍結していて転びそうなので、すぐにあきらめてしまいました。また今度は夏に再訪しましょうかね。
前の晩、爺ガ岳スキー場からの帰りに どら七さんと駅前にある豚丼の店に行きました。開店時間の午後6時になると一気にお客さんが押し寄せて、あっという間に満席になってしまう人気店のようです。
ここで食べた塩ラーメンの旨かったこと。もちろん豚丼もイケるのですが、何と言っても塩ラーメンですよ、「塩の道」だけに。隣のお客さんが食べていた、要予約の巨大な肉盛りも凄かったな。今度はあれ食べてみたい。
パリ日記その2 [日記]
パリ滞在中に、もうひとつマニアックな場所を訪ねました。
メトロのChatelet(シャトレ)駅6番出口を出ると、Saint Opportune通りという少し広い通りがありますが、その通りに面してなにやら人だかりができています。
殺鼠剤や殺虫剤を売る店のようです。
おおよそ趣味が良いとは言えないディスプレイなのですが、
入り口にポスターが貼ってあるように、映画「レミーのおいしいレストラン(原題はラタトゥイユ)」のモデルになった店として、世界中から見に来る人が絶えないそうです。
本編のちょうど1時間目くらいのところ、レミーのお父さんが「人間には近づくな。近づくとこうなるんだぞ。」とレミーに教えるシーンに出てきます。
この店の北側レ・アール地区には、かつて「パリの胃袋」と呼ばれた中央卸売市場があって、ネズミの害に悩まされていました。そこで、現在の店主の祖父がこの地に殺鼠剤の店を開いたということが、BS日テレ「パリで逢いましょう」の中で紹介されていました。
市場は既に郊外に移転しており、跡地にはフォーラム・デ・アールという巨大なショッピングセンターを建設中です。
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メトロのChatelet(シャトレ)駅6番出口を出ると、Saint Opportune通りという少し広い通りがありますが、その通りに面してなにやら人だかりができています。
殺鼠剤や殺虫剤を売る店のようです。
おおよそ趣味が良いとは言えないディスプレイなのですが、
入り口にポスターが貼ってあるように、映画「レミーのおいしいレストラン(原題はラタトゥイユ)」のモデルになった店として、世界中から見に来る人が絶えないそうです。
本編のちょうど1時間目くらいのところ、レミーのお父さんが「人間には近づくな。近づくとこうなるんだぞ。」とレミーに教えるシーンに出てきます。
この店の北側レ・アール地区には、かつて「パリの胃袋」と呼ばれた中央卸売市場があって、ネズミの害に悩まされていました。そこで、現在の店主の祖父がこの地に殺鼠剤の店を開いたということが、BS日テレ「パリで逢いましょう」の中で紹介されていました。
市場は既に郊外に移転しており、跡地にはフォーラム・デ・アールという巨大なショッピングセンターを建設中です。
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タグ:パリ レミーのおいしいレストラン
Bonne Annee! [日記]
年末年始は家族とともにパリで過ごしました。
アパートメント・ホテルで、あたかも現地に暮らすようにってのを、いつかはやってみたかったのです。
もちろん、アメリの働いていたカフェ・デ・ドゥ・ムーランに行き、
彼女の大好きなクレーム・ブリュレを食べましたよ。
ポスターの肩あたりにある「JPJ」は、ジャン・ポール・ジュネ監督の直筆サインです。この席が監督お気に入りの席らしいです。
丘を少し上ると、コリニョンの八百屋だってまだあるのです。
八百屋なのに、アメリ関連グッズも売っています。
さらに、もっとマニアックな場所を目指します。
アメリが映画を観ていた、モンマルトルで最も古い、いやパリで最も古い映画館、STUDIO 28もそのまんま営業中なのでした。
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アパートメント・ホテルで、あたかも現地に暮らすようにってのを、いつかはやってみたかったのです。
もちろん、アメリの働いていたカフェ・デ・ドゥ・ムーランに行き、
彼女の大好きなクレーム・ブリュレを食べましたよ。
ポスターの肩あたりにある「JPJ」は、ジャン・ポール・ジュネ監督の直筆サインです。この席が監督お気に入りの席らしいです。
丘を少し上ると、コリニョンの八百屋だってまだあるのです。
八百屋なのに、アメリ関連グッズも売っています。
さらに、もっとマニアックな場所を目指します。
アメリが映画を観ていた、モンマルトルで最も古い、いやパリで最も古い映画館、STUDIO 28もそのまんま営業中なのでした。
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おおさか街歩き @番外編 [日記]
大阪で見つけた ちょっと面白いものをいくつか。
北区を歩いていて こんなに素敵な町名に出くわしました。
こんなところに江戸時代の残滓を見つけて、かなり感激です。
隣は同心町だったりして… なんて考えながら歩いていると、
ほんとに「同心」でした。やるなあ、大阪。
後世に昔の町名を残してゆくことは、我々の使命なのです。
それがちゃんとわかっている大阪の行政は偉いと思います。
東京の麻布にも、かつては霞町、笄(こうがい)町、日ヶ窪町、鳥居坂町、網代町、箪笥町、我善坊町など、趣のある町名がたくさんありました。しかし、昭和40年代の区画整理とやらで、無粋な役人どもは西麻布~丁目、六本木~丁目という味気ない町名に統一してしまいました。
麻布で旧町名が残っているのは、狸穴(まみあな)町と永坂町の二つだけです。これは、そこに住む人たちが激しい住民運動をして守りきった結果なのです。そんなことまでしなくては由緒ある町名を守れないなんて、おかしいと思いませんか?
天王子七坂を歩いている時に遭遇した、めっちゃクールなバイク。
バイクのこと、まったく知りませんが、燃料タンクまでレザーで覆ってたり、ところどころカーボンパーツに置き換えてたりしていて、タダ者じゃないことはわかります。
最後は平野区の平野郷という大阪で最も古い集落を訪れました。
かつては周囲をぐるりと堀で囲まれていたという興味深い地域、ですが、そんな古い所ゆえ道が狭くて車は入れませんし、思った以上に広くて自転車でもなければ回りきれないことに、行ってから気がつきました。中に車を停めて歩いてみよう、という計画はもろくも崩れ去り、名物である「ペンギン模型」さんだけ見て撤収。大きなペンギンの看板が目印。
このあたり、やたらに漢字の多い地名ばかりで面白いです。
かみくらつくりにし、長ぇーよ!
きれうりわり、って読めるかー!
北区を歩いていて こんなに素敵な町名に出くわしました。
こんなところに江戸時代の残滓を見つけて、かなり感激です。
隣は同心町だったりして… なんて考えながら歩いていると、
ほんとに「同心」でした。やるなあ、大阪。
後世に昔の町名を残してゆくことは、我々の使命なのです。
それがちゃんとわかっている大阪の行政は偉いと思います。
東京の麻布にも、かつては霞町、笄(こうがい)町、日ヶ窪町、鳥居坂町、網代町、箪笥町、我善坊町など、趣のある町名がたくさんありました。しかし、昭和40年代の区画整理とやらで、無粋な役人どもは西麻布~丁目、六本木~丁目という味気ない町名に統一してしまいました。
麻布で旧町名が残っているのは、狸穴(まみあな)町と永坂町の二つだけです。これは、そこに住む人たちが激しい住民運動をして守りきった結果なのです。そんなことまでしなくては由緒ある町名を守れないなんて、おかしいと思いませんか?
天王子七坂を歩いている時に遭遇した、めっちゃクールなバイク。
バイクのこと、まったく知りませんが、燃料タンクまでレザーで覆ってたり、ところどころカーボンパーツに置き換えてたりしていて、タダ者じゃないことはわかります。
最後は平野区の平野郷という大阪で最も古い集落を訪れました。
かつては周囲をぐるりと堀で囲まれていたという興味深い地域、ですが、そんな古い所ゆえ道が狭くて車は入れませんし、思った以上に広くて自転車でもなければ回りきれないことに、行ってから気がつきました。中に車を停めて歩いてみよう、という計画はもろくも崩れ去り、名物である「ペンギン模型」さんだけ見て撤収。大きなペンギンの看板が目印。
このあたり、やたらに漢字の多い地名ばかりで面白いです。
かみくらつくりにし、長ぇーよ!
きれうりわり、って読めるかー!
おおさか街歩き @晴明通り [日記]
天王寺七坂めぐりが思いのほか早く終わったので、阿部野に移動しました。稀代の陰陽師 安倍晴明ゆかりの地です。
実は一つの目的がありました。昨年亡くなった正やん(桑名正博さん)の生まれ育った土地がどんなところか、ひと目見ておきたかったのです。
天王寺から「チン電」こと阪堺電車に乗り、東天下茶屋を目指します。
「てんかぢゃや」ではなく「てんがちゃや」、濁音の付き方がちょっと変。
江戸っ子が「あさひしんぶん」を「あさしひんぶん」と言うようなものでしょうか。
線路に生えたペンペン草と派手なラッピングのレトロな電車がツボです。
向こうに見える あべのハルカスの異様な高さとのコントラストも面白い。
駅を降りると昭和レトロな玉突屋さんの残滓が。
せっかくだから少し戻って安倍晴明神社を訪ねておきます。
あらら、この道は熊野街道(紀州街道)でしたか。
歴史ある街道沿いだけあって、立派な旧家があちこちにあります。
商家によくある「うだつ」を模した装飾塀を持つ家。
また東天下茶屋に戻り、晴明通りを西に向かって歩きます。
この辺りも古い街並みのようで、贅を尽くした豪邸があちこちに。
ファサードに銅板を張るのが大阪の豪邸によくあるパターンです。
この家なんか、雨戸の戸袋に銅板細工を施してあります。粋ですね。
さて、①晴明通り沿い②700坪の敷地③今はマンションが建っている、という3つの手がかりから、正やんの生家跡を捜していると、どうやらここらしいという場所が確定できました。
桑名家のものだった(?)門と日本庭園がそのまま残されているようです。
少し引いて見ると、いかに広大な敷地であったかかがよくわかります。
谷村新司さんがアリスとしてデビューする前、正やんの実家の蔵でメンバーと共に練習を重ねたというのは有名な話です。かつて谷村さんもここに通ってきていたのでしょうか。
さらに西へ歩くと、正やん行きつけの蕎麦屋さんがありました。どってことない普通の店ですが、藤山寛美さんや京 唄子さんも常連だったそうです。冷やしうどんを食べてみましたが、いたって普通でした。
聖天坂から再びチン電に乗って天王寺に帰りました。
実は一つの目的がありました。昨年亡くなった正やん(桑名正博さん)の生まれ育った土地がどんなところか、ひと目見ておきたかったのです。
天王寺から「チン電」こと阪堺電車に乗り、東天下茶屋を目指します。
「てんかぢゃや」ではなく「てんがちゃや」、濁音の付き方がちょっと変。
江戸っ子が「あさひしんぶん」を「あさしひんぶん」と言うようなものでしょうか。
線路に生えたペンペン草と派手なラッピングのレトロな電車がツボです。
向こうに見える あべのハルカスの異様な高さとのコントラストも面白い。
駅を降りると昭和レトロな玉突屋さんの残滓が。
せっかくだから少し戻って安倍晴明神社を訪ねておきます。
あらら、この道は熊野街道(紀州街道)でしたか。
歴史ある街道沿いだけあって、立派な旧家があちこちにあります。
商家によくある「うだつ」を模した装飾塀を持つ家。
また東天下茶屋に戻り、晴明通りを西に向かって歩きます。
この辺りも古い街並みのようで、贅を尽くした豪邸があちこちに。
ファサードに銅板を張るのが大阪の豪邸によくあるパターンです。
この家なんか、雨戸の戸袋に銅板細工を施してあります。粋ですね。
さて、①晴明通り沿い②700坪の敷地③今はマンションが建っている、という3つの手がかりから、正やんの生家跡を捜していると、どうやらここらしいという場所が確定できました。
桑名家のものだった(?)門と日本庭園がそのまま残されているようです。
少し引いて見ると、いかに広大な敷地であったかかがよくわかります。
谷村新司さんがアリスとしてデビューする前、正やんの実家の蔵でメンバーと共に練習を重ねたというのは有名な話です。かつて谷村さんもここに通ってきていたのでしょうか。
さらに西へ歩くと、正やん行きつけの蕎麦屋さんがありました。どってことない普通の店ですが、藤山寛美さんや京 唄子さんも常連だったそうです。冷やしうどんを食べてみましたが、いたって普通でした。
聖天坂から再びチン電に乗って天王寺に帰りました。
おおさか街歩き @天王寺七坂 [日記]
天王寺七坂を歩いてきました。
まず、大阪平野の真ん中にどうしてそんなにたくさんの坂があるのかということについて勉強しておかなくてはなりません。
太古の昔、大阪にはまだ平野は存在せず、上町台地という南北に細長い陸地があるだけでした。
少し拡大して史跡をプロットすると、こんな感じです。
その後、長い年月を経て土砂が堆積し現在の大阪平野が形作られ、上町台地エリアは海に浮かぶ戦艦のごとく高台として残りました。かつては断崖であった西の端にできた坂道が天王寺七坂となったわけです。
七坂めぐりは まず真言坂(しんごんざか)から。
向こうに見えるのは「いくたまさん」こと生國魂神社。明治の廃仏毀釈で取り壊されるまで、この坂には真言宗の寺が六坊あったということです。地味ですが何となく落ち着いた雰囲気があります。
二番目は源聖寺坂(げんしょうじざか)。上り口にある源聖寺にちなんでいます。ずっと石畳で、途中がS字になっており、七坂のうちでもユニークな形の坂です。
えっと… なまたま… じゃなくて「いくたま」ですかい。
隣は… しもでら… じゃなくて「したでら」ですかい。
あまのじゃくか!
三番目は口縄坂(くちなわざか)。最初は平坦ですが、途中から急な昇りになります。下から見ると口縄(蛇のこと)に見えることに由来しているようです。七坂のうちで最も絵になる坂です。
四番目は愛染坂(あいぜんざか)。坂の上に愛染堂勝鬘院というド派手なお寺があります。現在はコンクリート舗装されていて、まったく趣のない坂です。上り口を真っすぐ進むと大江神社の急階段があるので、その迂回路として使われていたのかもしれません。
五番目は清水坂(きよみずざか)。清水寺につながる坂です。名前の通り、かつてこの辺りにはきれいな湧水があちこちにあったようですが、地下鉄谷町線がその地下水脈を分断してしまったようで、今は枯れています。
六番目は天神坂(てんじんざか)。上り口に安居天神があります。この坂は車が入れるようです。天王寺七名泉と呼ばれた湧水の様子が再現されています。
広い道に出ました。最後の逢坂(おうさか)は、国道25号線になっていて、ものすごい交通量。いきなり現実に引き戻されてしまう感じです。
今回歩いた足跡をプロットしてみました。
まず、大阪平野の真ん中にどうしてそんなにたくさんの坂があるのかということについて勉強しておかなくてはなりません。
太古の昔、大阪にはまだ平野は存在せず、上町台地という南北に細長い陸地があるだけでした。
少し拡大して史跡をプロットすると、こんな感じです。
その後、長い年月を経て土砂が堆積し現在の大阪平野が形作られ、上町台地エリアは海に浮かぶ戦艦のごとく高台として残りました。かつては断崖であった西の端にできた坂道が天王寺七坂となったわけです。
七坂めぐりは まず真言坂(しんごんざか)から。
向こうに見えるのは「いくたまさん」こと生國魂神社。明治の廃仏毀釈で取り壊されるまで、この坂には真言宗の寺が六坊あったということです。地味ですが何となく落ち着いた雰囲気があります。
二番目は源聖寺坂(げんしょうじざか)。上り口にある源聖寺にちなんでいます。ずっと石畳で、途中がS字になっており、七坂のうちでもユニークな形の坂です。
えっと… なまたま… じゃなくて「いくたま」ですかい。
隣は… しもでら… じゃなくて「したでら」ですかい。
あまのじゃくか!
三番目は口縄坂(くちなわざか)。最初は平坦ですが、途中から急な昇りになります。下から見ると口縄(蛇のこと)に見えることに由来しているようです。七坂のうちで最も絵になる坂です。
四番目は愛染坂(あいぜんざか)。坂の上に愛染堂勝鬘院というド派手なお寺があります。現在はコンクリート舗装されていて、まったく趣のない坂です。上り口を真っすぐ進むと大江神社の急階段があるので、その迂回路として使われていたのかもしれません。
五番目は清水坂(きよみずざか)。清水寺につながる坂です。名前の通り、かつてこの辺りにはきれいな湧水があちこちにあったようですが、地下鉄谷町線がその地下水脈を分断してしまったようで、今は枯れています。
六番目は天神坂(てんじんざか)。上り口に安居天神があります。この坂は車が入れるようです。天王寺七名泉と呼ばれた湧水の様子が再現されています。
広い道に出ました。最後の逢坂(おうさか)は、国道25号線になっていて、ものすごい交通量。いきなり現実に引き戻されてしまう感じです。
今回歩いた足跡をプロットしてみました。
道道 [日記]
長いこと生きてるのに、それ知らなかったなあってこと、
多々ありますよねえ。
国道の1ランク下の地方道、たいていは県道って呼びますが、
大阪と京都は府なので、府道って呼ぶことを最近知りました。
当たり前といえば当たり前ですが、なんか新鮮な驚きでした。
東京は都なので、都道なんですね。なるほど。
じゃ、北海道はどうなんだ? 道道(どうどう)って呼ぶのか?
…と思いましたが、調べたところ、道道で正解らしいです。
これがその証拠。これにはちょっと呆れました。
多々ありますよねえ。
国道の1ランク下の地方道、たいていは県道って呼びますが、
大阪と京都は府なので、府道って呼ぶことを最近知りました。
当たり前といえば当たり前ですが、なんか新鮮な驚きでした。
東京は都なので、都道なんですね。なるほど。
じゃ、北海道はどうなんだ? 道道(どうどう)って呼ぶのか?
…と思いましたが、調べたところ、道道で正解らしいです。
これがその証拠。これにはちょっと呆れました。
タグ:道道
トルコライス [日記]
トルコライスって、あまり聞き慣れない食べ物ですが、
長崎が発祥の地で、あとは神戸と大阪にしかないらしい。
http://www.nagasaki.web-saito.net/toruko.html
で、大阪トルコライス発祥の店に行ってみました。
京阪電車で森小路へ。
「もりこうじ」じゃなくて、「もりしょうじ」て読むんかいな。
それは村上ショージや!
旭区役所を目指して10分ほど歩きます。
区役所の真ん前にその店はありました。
トルコライス → イスタンブールて、そのまんまかい!
ポークとエビが選べるらしい。ここはとりあえずポークで。
ほぉー、きました。チキンライスの上に卵焼きとトンカツを載せ、デミグラソースがかかってます。オーダーを受けてからすべてを調理し、あっつあつのまま提供するというスタイルは、とても好感が持てます。そして何より、フロアを仕切っているお母さんが良い味を出してます。
中身はこんな感じ。どこを食べてもメチャメチャ美味しいです。
チキンライス単品でも600円なのに、トンカツ載せても750円という、涙が出るくらい良心的な価格設定に、心から満足して店を後にしたのでした。
長崎が発祥の地で、あとは神戸と大阪にしかないらしい。
http://www.nagasaki.web-saito.net/toruko.html
で、大阪トルコライス発祥の店に行ってみました。
京阪電車で森小路へ。
「もりこうじ」じゃなくて、「もりしょうじ」て読むんかいな。
それは村上ショージや!
旭区役所を目指して10分ほど歩きます。
区役所の真ん前にその店はありました。
トルコライス → イスタンブールて、そのまんまかい!
ポークとエビが選べるらしい。ここはとりあえずポークで。
ほぉー、きました。チキンライスの上に卵焼きとトンカツを載せ、デミグラソースがかかってます。オーダーを受けてからすべてを調理し、あっつあつのまま提供するというスタイルは、とても好感が持てます。そして何より、フロアを仕切っているお母さんが良い味を出してます。
中身はこんな感じ。どこを食べてもメチャメチャ美味しいです。
チキンライス単品でも600円なのに、トンカツ載せても750円という、涙が出るくらい良心的な価格設定に、心から満足して店を後にしたのでした。