100,000年後の安全 @シネマ・クレール [映画(さ)行]
満足度 ★★★★
今、日本人にとって、どうしても観ておかなくてはならない一本。
マンネリ化した海賊モノなんか観る前に、まずこれを観るべきだ。
いまだ終息の兆しさえ見えない福島原発被災は、我が国にとって、こめかみに突き付けられた銃と同じ。なのに、その状況のわかっていない政治家どもは、また新たな銃を持ち出そうとしている。死ぬような目に遭っていながら、また同じ状況に身を投じるような学習能力のない阿呆は、特にこれを観るべきだ。
「原子力発電は、地球温暖化の原因となるCO2を発生しないクリーンなエネルギーです。」と言いたいなら、「ただし、使用済み燃料は高レベル放射性廃棄物となり、処理しきれず山積みになりますが。」という一言を追加すべきだろう。不都合な真実を隠すのはフェアじゃない。
全世界にある高レベル放射性廃棄物の量は、すでに約25万トンにも達しているという。各国がその処理に手をこまねいている今、フィンランドは世界に先駆けて、地下貯蔵庫に保管することを決めた。ONKALO(隠し場所)という名のそれは、人里離れた孤島の深い地下に造られている。
この作品は、ONKALOの現況と、それに関わる科学者たちへのインタヴューとで構成されたドキュメンタリー・フィルムだ。
「ONKALOは安全です、あなたがそこに近づきさえしなければ。」
地下に埋めた廃棄物が安全な状態になるまでには、10万年もかかるという。気の遠くなるほどの子々孫々まで、そのことを伝え続けられるだろうか? 10万年後に地表の世界がどうなっているか、誰にも想像はできない。現在ある国家や今話されている言語が存続しているかどうかさえ保証はできないのだ。
「我々の祖先であるネアンデルタール人と意思疎通できますか?」
だから、人間が管理しなくてもいいように、地表で何が起きてもいいように、地中深く隠してしまおうというのだ。
適切な処理法が見つからないまま、使用済み核燃料は毎日増え続けている。今我々が住んでいる地球は「トイレのない家」と同じなのだ。不都合な真実を隠して、原発問題の本質を地球温暖化問題にすり替えるような詭弁に騙されてはいけない。
「むかーしむかーし、日本という美しい国があったーそうなー。」
将来そんな昔話をされる日が来ないよう、今本気で考えるべきだ。
作品中でも使われていたクラフトワークのこの曲を聴いてほしい。
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4月の涙 @シネマート心斎橋 [映画(さ)行]
満足度 ★★★★
今や教育水準世界一、生活満足度世界一で、もっとも住みたい国のトップに位置しているフィンランドにも、こんなに暗い歴史があったなんて、まったく知らなかった。
フィンランドは長い間ロシアの属国として苦汁をなめていた。1917年にロシア革命が起こったのをきっかけに、国内で独立の機運が高まり、革命によって誕生したソヴィエト政府は、フィンランドの独立を承認した。
しかし、独立はしたものの、国内情勢は非常に不安定で、国民は真っ二つに分かれ、資産家階級の組織した白衛軍と労働者階級の組織した赤衛軍のいずれかに属して戦うという内戦状態に突入してしまった。
この作品の舞台は、1918年4月のフィンランド。内戦の真っ只中で出逢った男女のあまりにも哀しい物語だ。
男は正義感の強い白衛軍の准士官アーロ、女は誇り高い赤衛軍の戦士ミーナ。フィンランド内戦では女性でも兵役に就いたらしい。赤衛軍の戦況が不利になり敗走する途中で、ミーナたち赤衛軍の女性兵士は白衛軍に捕えられ、暴行された上で銃殺される。
運よく銃殺を免れたミーナだったが、今度はアーロに捕まってしまう。
「ヤラせてあげたら逃がしてくれる?」 (←近年まれにみる迷訳!)
「俺は他の兵士とは違う。ちゃんと裁判を受けよう。」
アーロはミーナに正当な裁判を受けさせるべく裁判所に護送するが、その途中でボートが難破し、二人は無人島に流れ着く。互いに立場は違っていても男と女、しばらく二人っきりで生活するうちに心が通ってくるのは自然の成り行きだろう。
戦時下でも裁判は正当に行われると信じて疑わなかったアーロだが、もはやそんな理想論が通用する状況ではなかった。精神を病んだ裁判官に利用され、翻弄されてゆく二人の運命。戦争という怪物は容赦なく二人の仲を切り裂いてしまう。
フィンランド映画はアキ・カウリスマキ監督の「過去のない男」以来、かなり久しぶりだった。国内で製作される作品数が年間で30本ほどというから、我が国にほとんど紹介されないのはやむを得ないが、独特の雰囲気を持った質の高い作品を送り出してくるので絶対に見逃せない。
フィンランドの美しい自然と本能むき出しで戦う人間の醜さとのコントラストが実にシニカルで印象的だった。アーロが静かな湖畔で耳を傾けていたエリック・サティの「ジムノペディ」がいつまでも耳に残る。
偶然にも、5月の連休にエリック・サティの生家を訪れていた。フランスのノルマンディー地方にある、オンフルールという小さいけれどとても絵になる漁師町にそれはある。美しい音楽は美しい風景によって育まれるという良い例。
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ザ・ファイター @福山駅前シネフク [映画(さ)行]
満足度 ★★★☆
この作品は実話に基づいている。
最近は、そういう作品がやけに多いが、たいていは映画的に余計な脚色がしてあり、中にはすっかりフィクションになってしまっているものもある。
確証はないが、この作品は事実に忠実に基づいて創られていると思う。なぜなら、ストーリーが思いっきり地味だから。事実なんてそんなもんだ。それでいいんだ、ウソをつくよりいい。
才能はあるのにクスリに溺れ、夢を途中であきらめてしまった兄の代わりに、アマチュアから這い上がり、プロボクサーのチャンピオンになったミッキー・ウォードの物語。
単なるサクセス・ストーリーとしてではなく、ミッキーと彼を支え続けた兄ディッキーとの兄弟愛を中心に描いたところがいい。
彼らの母親を演ずるのは、「21グラム」や「フローズン・リバー」でも、生活に窮したガサツなプア・ホワイトおばちゃんを好演したメリッサ・レオ。こういう役を演らせたら彼女の右に出るものは居ませんな。今回も絶好調、もしかしたらあれが彼女の"素"の姿なのかも。
しかし圧巻なのは兄を演じたクリスチャン・ベイルだろう。頬がこけるまで体重を落とし、歯並びを変え、頭髪を抜いてまで本人に近づけようとする役者魂には脱帽するしかない。エンドロールが始まってから本人たちが登場するのだが、風体から喋り方まで、ベイルの演じたディッキーが本人そっくりなのに驚かされた。
二人の熱演に押されて、本物のボクサー並みに肉体改造までしたマーク・ウォールバーグの影がとっても薄くなってしまった。いちおう彼が主役のはずなんですけどねえ。
監督は、「ザ・レスラー」を撮ったダーレン・アロノフスキーがする予定であったが、「ロボコップ」のリメイク(やめとけよ、そんなもん)に着手したために降板し、スーパーバイザーとして残ったらしい。そのせいか、似たようなシーンがあった。
それは、ミッキーの入場シーン。80年代ハードロックの名曲が使われていた。
懐かしくて、つい一緒に唄ってしまいましたよ、小声で。(←小心者)
同じく80年代ハードロックの名曲が使われていたという点で、「ザ・レスラー」の入場シーンを思い起こさせるので、ここはダーレンのアドバイスだったんだと思う。
ちなみに、「ザ・レスラー」の方はこれだった。
ええ、もちろんこの時も一緒に唄いましたとも、やはり小声でね。
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SOMEWHERE @MOVIX倉敷 [映画(さ)行]
満足度 ★★★☆
最初に映されるのは、荒涼とした大地を背にした何の変哲もない道。しばらくそのまま映像が変化しないので、ミヒャエル・ハネケの「隠された記憶」のファーストシーンを思い出した。(ハネケは、どこにでもある住宅街を何分間もずーっと映している。)
すると、車のエンジン音が聞こえてきて、黒のフェラーリが猛スピードで前を通過する。何度も、何度も、同じ動き、そこを周回しているようだ。いったい何のために?
次のシーンで、主人公が映画関係の人間であることがわかる。
階段で怪我をしたらしい。じゃ、スタントマン? でもないようだ。どうやら豪華なホテルに住んでいるようだし、周囲の人間の言動から、ハリウッドスターであることがわかる。
という風に、この作品では、小出しにされたヒントから、観客は少しずつ話の全体像を構築してゆかなくてはならない。やはりこれはハネケの手法だ。最初からくどいナレーションを入れる説明過多な作品よりはずっと好感が持てる。
LAのセレブ専用ホテルで暮らすハリウッドスターのジョニー・マルコは、孤独で空虚な毎日を過ごしていた。ポールダンスの出前を観ても何も感じない、自分の住んでいる部屋にかつて(U2の)ボノが住んでいたと聞いても何の感慨もない。
そんな時、別れた妻と暮らしている娘クレオをしばらくあずかるようになる。娘と一緒にテレビゲームをしたり、イタリアに旅行したり(「ロスト・イン・トランスレーション」を連想させる部分)して、楽しいひとときを過ごすのだが、やがて別れの時が訪れ、彼は以前にもまして孤独に。
ついに、ある決心をしてラストシーンでとる彼の行動、そこにタイトルの意味が隠されていた。
あえて固定カメラで長回ししている単調な映像が、ジョニーの空虚な生活をよく代弁していたと思う。大監督の娘として、特異な人生を歩んできたソフィア・コッポラ監督の体験が、クレオに投影されていたに違いない。
ソフィアらしい、センスのある音楽の選曲も素晴らしかった。
エンディングにブライアン・フェリーのこれを持ってくるなんて、さすが。
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ソーシャル・ネットワーク @TOHOシネマズ岡南 [映画(さ)行]
満足度 ★☆
世の中には、謝って許されることと、許されないことがある。
事業に成功して大金持ちになったところで、それは同じこと。
ハーバード大学在学中にFacebookというSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を立ち上げ、史上最年少でビリオネアになったマーク・ザッカーバーグという男の話。
だから何?それが偉いことなのか?って思うのだが、アホでマヌケなアメリカ人ってヤツは、こういうサクセス・ストーリーにからっきし弱い。幸せの尺度として富という ものさし しか持ち合わせていないから。
独創的なアイデアで巨万の富を得るも、親友に裏切られ… みたいな同情を誘うような話ではない。このマークという男、裏切られて当然、というか自分がいつも先に裏切ってるし、とにかく下司な野郎なので、まったく同情はわかない。
ハーバードの女子学生のデータベースをハックして顔写真をネットにさらし、誰がかわいいか投票させるようなサイテーの野郎。その時点で社会的に抹殺されるべきだったと、わたしゃ思いますが、成功したら、そんな過去などチャラになるわけ?
まあ、そんなヤツにも一人くらいは友達がいて、その唯一の友人エドゥアルドに、マークは自分が考えたSNSのシステムを拡張するための資金を都合してもらう。その見返りに彼をCEOにするという約束で。
しかし、CEOとは名ばかりのエドゥがスポンサー探しに躍起になっている間に、マークはNapsterの創始者であるショーンと手を組んで、エドゥ抜きに事業を拡大してゆく。
当然エドゥは腹を立て、自分の提供した資金を凍結する。すぐに泣きを入れてきたマークに対し、情にほだされて凍結解除してやったにもかかわらず、エドゥは持ち株をゼロ同然まで減らされてしまう。そりゃ、訴えるしかないだろう。
はっきり言って、映画にするほどの価値もない、くだらない内輪揉め話だ。Facebookになんて興味もないし、それでビリオネアになった男の話になんて、もっと興味がない。
もともとは仲間うちでmp3音源を共有するだけのソフトだったNapsterは、利用者が爆発的に増えてゆくうちに著作権の侵害が大きな問題となり、音楽業界から提訴され、消失した。卑劣にも、音楽業界はその後Napsterを原型とした音楽配信システムを確立し、荒稼ぎしている。
それによって、パッケージとしてのCDが売れなくなるというジレンマに陥ったのは自業自得と言うほかないが。
音楽業界にとって敵であるはずのNapster創始者ショーンを、音楽業界側に居るジャスティン・ティンバーレイクが演じていたのは、かなり笑えるブラック・ジョークだった。
ウィンクルボス兄弟役の役者が、「ハムナプトラ」のブレンダン・フレイザーに見えて仕方なかった。学長が彼らに初めて会った時の言葉がまた可笑しい。「ブルックス・ブラザーズのセールスマンかと思ったぞ。」
おおよそ常識的とは言えない突飛な行動をとるマークを見ながら、アップル創始者のスティーブ・ジョブズにも合い通ずるものがあるなと思った。時代の寵児となる者は、何か共通のものを持っている。
そういう眼で見ると、エドゥがスティーブ・ウォズニアックで、ウィンクルボス兄弟がゼロックスってことになるな。
(現在のPCで用いられているGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)は、最初にゼロックスの研究所で開発され、それを見たスティーブ・ジョブズが
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ストーン @シネ・リーブル梅田 [映画(さ)行]
満足度 ★★
理性の崩壊ってのがテーマらしい。伝えたいことはわかる。しかし、伝わってくるものはない。冒頭のシーンに代表されるように、あまりに唐突、あまりに独りよがりなのだ。
デトロイトで仮保釈管理官として働くジャック(ロバート・デ・ニーロ)は、信仰厚い妻のマデリンと結婚して43年、定年を目前に控えていた。
最後に担当するのは、祖父母殺しと放火の罪で服役しているジェラルド(エドワード・ノートン)、通称ストーンと呼ばれる男だった。
8年間の服役で精神的にまいってしまっているストーンは、魅力的な妻ルセッタ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)にジャックを誘惑させて書類に手を加え、少しでも仮出所を早めようと企む。
コーン・ロウを見事に編み込んだエドワードの極悪人顔は、「アメリカン・ヒストリーX」を髣髴とさせる。
ジャックを卑猥な言葉で挑発し、正義などクソ食らえと嘲笑していたストーンだが、あるきっかけから自己啓発に目覚め、人が変わったようになってゆく。(え? そんな話だったの? ずっとワルを通すものだと思ってたのに。それじゃ「アメリカン・ヒストリーX」と一緒じゃないか。)
コーン・ロウをほどき、口調も物腰も徐々に落ち着いてゆくストーンの変化を、エドワードは実に巧みに演じている。やっぱりうまいなあ、この人。
ただ、彼が自己啓発に目覚めたきっかけというのが、たまたま置いてあった宗教のパンフレットを読んだことと、唐突に起きた囚人同士の殺し合いを見たことっていうのが、いかにもわざとらしくて、ストーリーになかなか入り込めない。
一方、ミラ演ずるルセッタの誘惑を最初は拒んでいたジャックだが、あの手この手で迫られているうちに、とうとう一線を越えてしまう。(そりゃ仕方ないよ、ミラに迫られて断れる男がいるなら会ってみたいもんだ。)
正義を踏みはずしてしまうジャック、逆に正義に目覚めて行くストーン、その両者を対比的に描くことによっていろいろと訴えたかったのだろうが、やっぱり話の流れが嘘っぽくて、心には響かない。
サマセット・モームの「雨」を意識したのかどうかは知らないが、足元にも及ばないと思う。
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シークレット @シネマ・クレール [映画(さ)行]
満足度 ★★★★
「チェイサー」のスタッフが再集結したとあっては、何が何でも観ておかなくてはならないだろう。期待をまったく裏切らない力作だった。
刑事ソンヨル(チャ・スンウォン)は、仕事で出かけた殺人現場に妻の痕跡が残されているのに気付く。その朝出かけるときに付けていたイヤリング、着ていたスーツのボタン、新作だと話していたピンクヴァイオレットの口紅の付着したグラスだ。
妻を守るため、証拠をこっそり持ち帰るソンヨル。
その夜遅く帰ってきた妻は、とても動揺した感じで、ブラウスは血に染まり、イヤリングとスーツのボタンを無くしている。
問い詰めるソンヨルに、「今は話せない。」と口を閉ざす妻。
でも、彼はそれ以上言えない。なぜなら、妻に対して大きな負い目があるからだ。夫婦には女の子がいたが、彼の浮気が原因で交通事故に遭い、亡くしてしまっていた。
殺人事件の被害者は、マフィアのボスの弟。ボスは怒りに燃え、警察よりも早く犯人を捕まえて血祭りにあげてやると息巻き、独自に捜査を始める。
一方、捜査チームの一員である同僚のチェ刑事との間には個人的な確執があった。2年前、捜査中の犯人に過剰な暴力をふるったというソンヨルの証言により、チェ刑事は停職になっていたからだ。
状況証拠は隠滅したものの、妻が犯人として最も疑わしいという事実は消えない。マフィアのボスと同僚のチェ刑事も妻を追いはじめた。刑事として事件を捜査しつつ、夫として妻を守らなくてはならないという、板ばさみの状況にソンヨルは追い込まれる。
さらに、事件当日の防犯ビデオを持っているという「ピエロ」を名乗る男から恐喝まで受けるようになり、三つどもえ、四つどもえの攻防へと発展する。「チェイサー」で撮影監督をつとめたイ・ソンジェが、今回もスリリングな映像を提供している。
ソンヨル刑事役のチャ・スンウォンは、モデル出身だけあって、着こなしや身のこなしがスタイリッシュだ。トレンチコートにコンバースなんていう着くずしも、難なくキメているのはさすが。「リベラ・メ」で放火犯を演じていた人と同一人物とはとても思えないけど。
妻役のソン・ユナ(ユン・ソナではない)の妖艶な美しさも大きな魅力だ。ディオールのスーツに身を包んだ気品ある姿には、思わず溜息が出てしまった。
終盤で二転三転するシナリオ。「あ、もう先が見えちゃった。」なんて無粋なことは言わず、先読みしないで物語に身を任せてしまった方がいい。エンドクレジットが始まっても決して席を立ってはいけませんぞ。
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シングルマン @シネマ・クレール [映画(さ)行]
満足度 ★
世界的ファッションデザイナー、トム・フォードによる初監督作品、なんて言われても、グッチやサン・ローランに縁のない私にとっては、トム・フォードという名前は初耳だし、そんなことはどうでもいい。
たしかに、衣装や小物など、デザイナーならではのセンスが生かされていて(主人公の乗るオールド・メルセデスが、とりわけ素晴らしい)、映像的には楽しめるが、ストーリー的にはドン引き、何度途中で出ようと思ったことか。
大学で文学を教えているジョージは、16年間一緒に暮らした恋人を交通事故で失って以来、空虚な日々を過ごしていた。ついに彼は自らの人生に幕を引くことを決意し、準備をはじめる。映画は、人生最後の日と決めた彼の一日を描く。
と、ここまで書くと普通のドラマのように思えるが、事故で失った彼の恋人というのが男性なのだ。つまり、ジョージはゲイという設定。ギョーカイで言うところのモーホーってやつ。なんじゃそりゃ、観る前に予備知識を入れとくんだった。ジュリアン・ムーアと一緒のポスターにまんまと騙された。
わざわざ金を払って男の裸なんて見たくもないし、ましてや男同士のキスなんか見せられても吐き気しか感じない自分にとっては、苦痛以外の何者でもなかった。
ジョージの教え子ケニーを演じていた若者が、「アバウト・ア・ボーイ」に出ていたプクプク顔の少年であったことがわかり、かなり驚かされた。
それから、ひとつだけ粋なセリフがあって印象に残った。
ジョージの恋人が彼とくつろいでいる時にもらした言葉。
「恋なんてバスみたいなもの。待ってれば次が来る。」
なかなかうまいことを言うじゃないか。
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タグ:映画 シングルマン 感想
SAW 3D (ソウ ザ・ファイナル) @TOHOシネマズ岡南 [映画(さ)行]
満足度 ★★
やれやれ やっと終わってくれたか・・・
それが本作に対する正直な感想だ。
初日のレイトショーで鑑賞。日米同時公開を土曜日に設定したことが功を奏したのか、いつになく観客が多く、50人を超えている。そうか、ホラー過疎地の岡山にもやっとファンが根付いてきたか、と一瞬ほくそえんだが、落ち着いてよく見ると、ほとんどが若い
土曜の深夜に二人でホラー映画? ははん、映画が目的じゃなくて、その後が本当の目的なんだな。そんなあからさまな男どもの魂胆が見えてしまって興ざめする。不純な動機でホラーを観に来ないでほしいね。
それはさておき映画の話。ファイナルだし、いま流行りの3Dで話題つくっとこう、みたいなノリの映像は、まったく見せ場なし。かろうじて終盤、ノコギリをこちらに投げるシーンでオッと思わせるが、同じような映像をつい先ごろ、バイオハザード4で観てしまったので、それにさえも新鮮味はない。
昨シーズンまではシリーズ9まで続けるとアナウンスされていたが、前作の興行収入がふるわなかったため、シリーズ7と8とを一緒にしてファイナルにしたらしい。どっちにしても、もうたくさん、いい加減に幕を引いてくれ、と思っていたから、これでやっと溜飲を下げることができた。
これまでは、密室を舞台にしたソリッド・シチュエーション・スリラーがウリだったのに、今回はいきなり公衆の面前での公開処刑で幕を開ける。
なんじゃそりゃ? ここまでくるともう悪趣味以外の何者でもない。
(もっとも、趣味の良いホラーってのもありませんけどね)
次から次に新しい登場人物が出てきて、トラップを仕掛けられては消えてゆく。何の思い入れもない人物が非業の死を遂げたところで、「あ~っ、もうちょっとだったのに、残念だったね~」と思うだけで、そこにはスリルも何もない。いつの間にか、クライム・アクション+拷問装置のデモみたいな映画になってしまった。
根暗ホフマンと妖艶ジルとの対決も、ジルがたいして活躍することなく、ホフマンの圧勝に終わってしまい、欲求不満の溜まること溜まること。
シリーズ7以降はジルが主役になるはずだったんだけどなあ・・・
唯一救いだったのは、誰もがその登場を心待ちにしていた「あの方」が出てくれたこと。シリーズ2以降も製作者側は出演を依頼してたらしいが、ギャラが折り合わなかったというのがもっぱらのウワサだった。初回作から比べると、でっぷり肥えていて(ギャラ太り?)、ちょっと小憎らしい。
何とか無理矢理エンディングに持っていったものの、「あの方」の横に居た二人は誰?と、また新たな謎を投げかけて終わったりして、あわよくば本作がヒットしたら続編を、なんて考えてるんじゃないだろうな?
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ザ・ロード @シネマ・クレール [映画(さ)行]
満足度 ★★
♪何でもないような事が 幸せだったと思う♪
♪何でもない夜の事 二度とは戻れない夜♪
こんにちは、THE虎舞竜の高橋ジョージです。
「ロード」つながりってことで、これを観てきたぜ。
主演が「ロード・オブ・ザ・リング」のヴィゴ・モーテンセンって、ここでもシャレかよって思ったけど、よく考えたら、あっちは "Lord" なんだよな。日本語表記すると区別つかねえんだよ。まぎらわしいぜ、まったく。
文明が崩壊して10年あまり、空は分厚い灰色の雲で覆われ、寒冷化により動植物の死に絶えた世界。わずかに生き残った人間たちの中には、互いに共喰するものもいたが、「善き人」の心を失わず南を目指す父子がいた。
ここまで書くと、たいていの人は、今年の7月に観た「ザ・ウォーカー」のパクリじゃねえかって言うだろうけど、そうじゃねえと思うぜ。こっちはコーマック・マッカーシーが書いたベストセラー小説の映画化なんだから、パクったとしたらあっちだろう。
しかしね、地方都市じゃ、「ザ・ウォーカー」はシネ・コンでロードショー、こっちはミニシアターで単館上映だ。所詮は配給元の力関係がそのまま作品の勢いまで決めてしまってるってのが現状なんだろうな。
ヴィゴの熱演には正直頭が下がるよ。息子役のコディ・スミット=マクフィも言うことなし。二人でショッピングカート押しながら歩くシーンは、「子連れ狼」みたいだって思う人も居るだろうけど、オレは「砂の器」に見えて仕方なかったな。
ただね、廃墟となったマーケットで偶然見つけたコカ・コーラを息子に初めて飲ませて、「どうだ、うめえだろ。」と言うところとか、農家のシェルターに大量にストックされてたデル・モンテの缶詰を食いながら、「僕たちはラッキーだったね。」と息子に言わせるところとかは、コマーシャリズムの臭いがプンプンして我慢ならなかったぜ。どうせヤツらがスポンサーなんだろう。
そうそう、彼らはSPAM缶も食べてたな。味覚音痴のアメリカ人が大好きな肉の缶詰で、スパム・メールの語源にもなったヤツ。わざわざラベルをこっち向けて、しらじらしいね~
ロバート・デュヴァルも出てたけど、あの名優にあんな扱いはねえと思うぜ。「クレイジー・ハート」と出演時間は変わんなかったけど、あの時とは役の重みが全然違うだろ。眼が不自由で名前がイーライってのは、「ザ・ウォーカー」と一緒だ。ここまでカブッちまうと、もう笑うしかねえな。
これといったヤマ場もなく、派手なアクションもなく、エンディングも安直、もう少し何とかならなかったのかねえ? 原作本を読んでねえから大きなことは言えねえけど、映画化したのが間違いだったと思うぜ。いくら小説がベストセラーになったからって、映画化に向くかどうかは別問題だろ。
(以上、THE虎舞竜の高橋ジョージさんになりきってレヴューしました。
あくまでも管理人のなりきり(思い込み)ですので、高橋さんご本人とは何の関係もありません。あしからずご了承ください。)
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