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レオニー   @梅田ガーデンシネマ [映画(ら)行]

レオニー.jpg
満足度 ★★★

瀬戸内地方に住む者にとって、イサム・ノグチは身近な存在だった。既に世界的な彫刻家であった彼は、晩年、香川県庵治(あじ)町に産する庵治石と出逢い、隣接する牟礼町に居を構えて制作活動にいそしんでいたからだ。

彼の作品には日常的に触れることもできる。提灯からインスピレーションを得たと言われている「Akari」シリーズは、誰でも買うことのできる芸術作品だ。我が家にもひとつ、長女の出産祝いに私がリクエストしていただいたのが置いてある。
AKARI.jpg
まさに和と洋との見事な融合。毎日触れられる芸術作品だ。

この映画は、そのイサム・ノグチを産み育てた母であるレオニー・ギルモアの、波乱万丈という言葉さえ陳腐に聞こえるほど壮絶な半生を描いている。

19世紀末のニューヨーク、大学で教鞭をとりながらも編集者になりたいという気持ちを捨てきれないでいたレオニー・ギルモアは、日本から来た詩人、野口米次郎と出会う。彼女のサポートにより彼の詩は米英の文壇に発表され、賞賛をもって受け入れられる。

レオニーと米次郎との間に恋愛感情が生まれるのに、さほど時間はかからなかった。彼女は彼の子を身ごもるが、米次郎は日本に帰ってしまう。未婚の母となるのを覚悟で、彼女は男の子を産む。それがイサム・ノグチだった。

おりしも日露戦争から世界大戦へと世界は激動する時代。日米のハーフとして生まれ、時代に翻弄されながらも懸命に生きてゆく母子の苦難の道のりを、映画は丁寧に描いている。2時間余りでもまだ描ききれなかったところがあり、後半が少し駆け足になってしまったが、それは仕方のないことだ。

これまでほとんど語られることのなかったイサム・ノグチの母親にスポットライトを当ててくれたことが、この作品の最大の功績だろう。アメリカの大学で、津田塾創始者である津田梅子に出遭っていたり、幼いイサムを連れて来日してから、小泉八雲の未亡人セツと交流があったりしたことは、新鮮な驚きだった。

女性が職業を持つことさえまだ一般的でなかった時代、ましてやシングルマザーなどもってのほかとされていた時代に、自立して子どもを産み育て、子どもの才能を見い出して見事に開花させた偉人として、後世に語り継いでゆかなくてはならない人物のひとりだろう。

劇中の彼女の言葉が、いつまでも心に残る。

「平凡な人間(人生)なんて、つまらないわ。」
「芸術に国境はないの。芸術は武器であり声でもある。」
「幸せだったかどうかなんて、死ぬ時にわかるものよ。」

イサムが晩年を過ごしたアトリエは、現在も記念館として保存されているらしいが、いつでも行ける距離にありながら、まだ訪れたことがなかった。これを機会に是非とも行ってみなくてはならないと思った。


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